カゾクスキー

FXで自宅警備員を目指す!雑記ブログ

みじめさとの折り合い

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どうも~

カゾクスキーです。

 

子どもの時ってね、家庭でのすべてが基準になるじゃないですか。

おかずの品数

休日の過ごし方

寝るときの部屋割り

自分の部屋が有るか無いか

お出かけの頻度

洋服の購入頻度

おやつの質・量

入浴剤入れるか否か

季節イベントをいかに楽しめるか

美容室に行くのか

家の古さとか新しさ・間取り

車の所有・・・

あげだしたらきりがないけど

子どもが小さいころって自分の家庭が標準なんですよね。

だから、あんまりみじめだな~なんてことはないんだよね。

 

 

で、だんだん成長して、外の世界を見るようになってくる。

小学生になると、友達の家に出かけたりして、

自分の部屋があるんだ

お家新しいな

おやつ豪華だな

洋服たくさん持ってるな(なに?服にブランドとかあるの?)

新しいゲーム持ってるな

 

 

それから、中学生になると携帯を持ち始めて(私の時代はまだスマホなんて無かったけど)、SNSで友達の休日が見えたりして

そんなに県外に出かけてるの?

頻繁に家族でショッピングしてるな~

休みの日にBBQ?楽しそう。

なんだ、この外食・・・。ファミレスとは違う世界・・・。

みたいなね(笑)

 

中学生になってくるとうらやましいという気持ちは強めに芽生え始めるよね。

そこから高校生になると、差を感じ始める。

持ち物服装、自由に使えるお小遣い、バイトするのかしないのか・・・。

そんなところで周囲と同じ程度であれば、ほかの人のいいとこを見てうらやましいな~

ぐらいなんだけど、大きく劣ると感じる部分があれば、そこからみじめさを感じるときある。

 

だから、子どもにみじめさを感じさせないためには、平均より少ししたぐらいを与えてあげる。っていうのでも大丈夫じゃないかなぁ~って。(笑)

多少のことは、うらやましいなぁ~で終わりそう。

 

みじめさを感じさせてはいけないとは思わないよ。

みじめさが生む、なにくそ根性も役に立つからあってもいいと思うんだけどね。

でも、なんとなく、親として子どもにはみじめな思いをさせたくないなっていうのは、思っちゃうよね。

 

私の母がね、娘におもちゃを買ってくれたから、私が

「イベントでもないのにおもちゃ買ってもらって~」

ってちょっと娘に、それはあまりよくないことなのよ。という雰囲気を出しながら言ったのね。

そしたら、母が

「これぐらいいいいのよ。あんたらぁが子どもの時はクリスマスプレゼントも100均のおもちゃ買ったりしてね、こんなおもちゃも買ってあげれなくてみじめやなと思ったもんよ。」

って言うんですよ。

 

私の記憶の中では、おそらく、小学生で100均一のメイク道具もらったのかな?

そんな記憶はあったけど、みじめだという感覚は全く無かった。私にとってこれが基準だからね。

でも、母の中ではみじめだと感じる事やったんやな~。

 

何が言いたいかというとね、親がみじめだと思っても、子は案外そうでもないこともあるのよね。

なんなら、親がみじめだと思っていることに少し悲しさを感じたりしたもんだから、

「クリスマスに100円のおもちゃプレゼントしたことあるのよ~

めっちゃ経済的でしょ~。子どもの時は安上がりで助かるわ!笑」

ぐらいでもいいんじゃないかと。

 

 みじめなのは嫌だよね。

でも、みじめだと思ったときってなんかパワーわかない?

その感情を埋めてやろう!

どうにかしてやろう!って。

だからね、私はみじめだと感じたとき、感情をバネにしたいなぁと思うんです。

 

ここまでは、物のみじめさね。



孤独感からくる、惨めさはね、たちが悪いと思ってて、これってなにくそ魂でどうにかなるもんやないと思うの。

育った環境で孤独感を味わってしまってるのかもしれないし、自分の招いた種かもしれないし…

この孤独感からくる惨めさを払拭するのは、なかなか難しい。…と思う。

誤魔化すことは可能なんだよね。

友達と遊ぶ

外出して人の多いところへ行ってみる

飲みに行く

誰かに電話してみる


でも、それって誤魔化しであって、またすぐ惨めさが押し寄せてくるのよね。


孤独感に強いって何が起因するんだろう。自己肯定感かな?

自己肯定感強いと、孤独に強そうだよね。

一人だから、寂しいからって惨めに感じることはなさそう。


 そんな話(*´∀`)

 ほいたらねぇ~