人の文章に救われる
最近、Facebookより、インスタより、Twitterに入り浸る私ですが、なぜそんなにTwitterに入り浸るのか?
Twitterが、現実をリアルに近い感じで伝えてくるからです。
あ~。私もそう思う。
あ~。私もそれ悩んでた。
あ~。たしかにそう考えたら楽かも。
なんて、自分の中のストンと落ちる文書が溢れてるんです。
顔だし無しで、ぶっちゃけた内容を書いてくれるライターさんやブロガーさんが見つけやすいからというのがあるのかなと思います。
なんか、Facebookもインスタも飾られてるんですよね。
こうあるべき。
これが素敵な姿よ。
と教えられるような気がして。
まるで、社会の教科書のような。
それが、何となく息苦しい。
知らない人の文章に、Twitter経由でふらっと出逢い。
予想外に元気付けられる。
新しい発見がある。
私は仕事しながら子育てすることに、とても悩んでて、でも、現実にはきっと私より大変な思いをしてるお母さんたちがたくさんいるだろうから、辛いなんて言えないけど、私のキャパではしんどいんですよ。
どこまで耐えられるかなんて人それぞれだけど、そんなに限界まで耐えなきゃいけないの?
余裕が残せる程度に頑張りたいっていうのは、無しなのか?
子持ちのお母さんが正規雇用受けようと思ったら、限界まで頑張らないといけないみたいな風潮ありませんか?
子持ちじゃない人がこんだけ頑張ってるんだから、子持ちの人も限界まで頑張ってあるべきだし、子どもに少し余裕が出たら、その余力を仕事に費やすべき。みたいな。
じゃあ、私の余裕はいつ作れるの?
こうやって大変な思いをしてるお母さんがいっぱいいると思うんですよね。
子どもがいない人がこんなに一生懸命なんだから…子持ちの人はもちろん、もっと大変なの覚悟よね?
みたいになるんだったら、みんなが余裕を持てる働き方が出来ればいいのに。
でも、そうすると、人件費が~とか生産性が~とかって話になるんでしょうね。
今の社会が変わらないなら、私は自分の娘にワーキングマザーはさせたくない。
子どもを育てるのは素晴らしい事を私に与えてくれるし、子どもは宝物だし。
別に、労働が悪いとも思ってないんです。
労働は価値を生むんですから、素晴らしいことだと思ってます。
でも、それは、しんどいなぁと感じるほどじゃなくていいんじゃない?って思うんです。
今の社会は、子育てと仕事の両立をするには、どうもお母さんの我慢を強くしいているような。。。
お母さんが外で働けるようになったのも、今までのお母さんたちが頑張って獲得してきた地位なんだから。
家庭にいるのが当たり前の時は今よりもっと大変だったんだから。
なんて声も聞きます。
うん。
きっと、普通でなかったことを、今やワーキングマザーが普通としてくるまでにとっても大変だったんだろうけど。
ゆとりのせいでしょうか。
今の社会でもしんどく感じることが多いのです。
でも、今は昔よりいい状況なら、娘が大人になるときにはもっと良くなってるかな。
なってるといいな。
っていう、そんな悩みを抱えてる私をTwitterが日々支えてくれてるので、Twitterありがとう。というだけの内容です。
はい。
おやすみなさ~い。
よい夢を。
明日も頑張りましょ~。
出来れば程ほどに。